みなさん、食事のときはどんな食器を使っていますか? 私は適当も適当、というのが正直なところでした。家電量販店でもらった景品の食器や(いくつかそろうと、それなりによかったりします)、100均で買ったお茶碗(もちろん、気に入るものを選んで買うわけです)。子どもが小さいから、どうせ割れてしまうからと、あまり気を遣うことなく過ごしてきました。
父は焼き物の町、愛知県常滑市の出身です。毎年開かれる「常滑焼まつり」で購入した陶器が、数は多くないものの、それなりに食器棚に収まっています。ところが両親が80代を過ぎた頃からでしょうか。「大きなお皿は重くてね」と言い出し、少しずつ、食器が軽いプラスチックやメラミン樹脂製のものに取って代わられていきました。
現在、両親は施設に入り、実家の整理を私が行っています。父がときどきは家に帰りたいと思っているため、片づける際の取捨選択を私の判断だけで行うわけにはいかないのですが、両親に「実家にあるもので、使えるものは使ってね」と言われています。そこで、まず初めに浮かんだのが、実家にある焼き物を使わせてもらおう、でした。
そもそも、
「もったいない」と奥にしまっている食器は、結局、何十年も使ってないし、、、
これを機に、我が家に眠る食器も含め、自分がいいなと思う食器で生活しようと思ったのです。
というわけで我が家にやって来た食器の数々。作るおかずは変わっていないはずなのに、子ども達の言った言葉が印象的でした。
食器が変わったら、食事が食文化になったよね(驚)
子どもは食事の見え方に驚き、私は子どもの発言に驚く。器って大切なのだなあ。
一方、実家にあるプラスチックの食器や密閉容器はどうするか?も悩みどころでした。自宅にプラスチック製の容器はたくさんあるし、と言いたいところですが、我が家では密閉容器の買い替え時に、ガラス製のものに切り替えたため、家にはなく。しかし私が80代になったとき、ガラス製の容器を今と同じように持てるかというと、そうもいかないかもしれない…。
いつか使う時が来るのを待って、食器棚の中に眠らせておくか、思い切って処分してしまうか。30年後の「食材保存術」の常識は、今とはきっと違うでしょう。やみくもに取っておいても片づかないので、食材を保存するという用途で、プラスチックの密閉容器を所有するのはやめました。でも、小物を入れることがあるかもしれない(例えば棚の中の仕切りとして)という観点から、キレイなものをいくつか残しました。
新しいものを買うのは簡単だし楽しいけれど、ものを処分するのは罪悪感が伴うものだと改めて感じます。誰かに譲る、中古として売るなど、「使いきる」方法は数多くあるはずですが、そこにかかる時間(めんどくさいと決断しない中途半端な時間)が積み重なると、もはや片づけてないのと同じ。いやー、片づけは決断の連続ですね。ましてや自分以外の人のものの片づけは、難し過ぎ。
とはいえ、買ったものは、買った人が、それが無理ならできるだけ買った人に近い人が決着をつける責任があるのではないか(人類として)、と今の私は思い込んでいるので、もう少し頑張ってみたいと思います。