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両親の世話は娘がすべき?
私は離婚を機に故郷に戻りました。その後、近くに住んでほしいという父からのリクエストがあり、実家の近くに居を移しました。この時点で、父81歳、母86歳。父は要支援1、母は要介護4でした。母は77歳から車椅子の生活をしており、筋力の低下や麻痺もあり自力で用を足せなくなったため、ヘルパーさんに1日4回、排泄や寝起き、着替えの介助などをお願いしていました。
食事の用意(宅配のお弁当や、出来合いのお惣菜)は父が行い、母の衣類や寝具などの洗濯と週2回のゴミ出しは私が担当しました。私は実家をキレイに保つわけでもなく(自分の家すら取っ散らかっている)、晩ご飯のおかずを差し入れるといったことも数えるほどしかなく(近所に住んでいるのに)。見る人から見れば、かなりの親不孝者かもしれません。
私が仕事をしていなかったら? 私に子どもがいなかったら?
それでも私は、両親とは同じくらいの関わり合いだったかなと感じています。私は私が疲れない、そして長い目で見たときに両親と笑顔を交わせる関係性と距離感の中で生きたいです。
「早く施設に入れなさい」
乱暴な言い方をすれば、母についてはずっと、そんな風に言う人たちがいました。母が5年ほど前、大腿骨の骨折で入院した際も、入院先の看護師さんに、かなり強い口調で言われました。
「自宅に退院させるの? 施設に入れなさいよ」
母の下半身には感覚がありません。大腿骨の骨折は、そのために起こった介護中のケガでした。退院のときに「またこういうことが起こるかもしれないから」と看護師さんが心配したのも無理はないことです。ただ、そのときに考えたのは、「母はどうしたいのだろう」ということでした。病院の単調な生活の中で、母はかなりぼんやりしてしまっており、入院前とはかなり様相が変わっていました。このまま「介護度」に見合った施設に入って、事故がないこと、ケガがないことを第一目的に生活を送って幸せなんだろうか。
当時、両親は、ヘルパーさんや訪問看護、訪問医療の力を借りて自宅で暮らしたいという気持ちを持っていました。ケアマネージャーさんにはそのことを伝え、家族の思いに寄り添ってもらうことにしました。なので、退院時に開かれた担当者会議でみなさんにお伝えしました。
「介護の途中で今後も何かが起こるかもしれない。それを防ぎたいと思ってくださる気持ちはよくわかります。でも、本人が満足に暮らせることを第一に考えたとき、そのリスクも含めて、まずは自宅での生活を続行させたいと思います。ご協力お願いいたします」
母の二度目の入院がきっかけで施設を探すことに
大腿骨の骨折から約5年後の入院は、褥瘡(じょくそう・床ずれ)の悪化によるものでした。褥瘡はお尻の、ちょうど座ったときに当たる箇所にできていました。治療のためには座位をできるだけ避けたほうがよいけれど、寝たままだと動かせる箇所まで筋力が落ちたり、刺激が少ないために認知機能が落ちたり…という心配もあり、なかなか難しいものだと感じました。
医師には「内臓などに問題はないので、褥瘡がよくなれば退院ということになりますが、退院後、どうしますか?」と聞かれました。自宅に戻っても、褥瘡を悪化させてまた入院…の繰り返しだろうと。看護師さんも、もし自宅に退院するならばケアプランも今までと変えたほうがよく、施設の入居を考えたほうがよいのでは、という意見でした。
そこで父に相談しました。父は当然、自宅で頑張るつもりなのだろうと思ったのですが、返ってきたのはこんな言葉でした。
父
僕自身も、体が動かなくなってきたから、買い物に行くのがつらいときもあるし、お母さんと僕と2人分のスケジュールを管理するのも難しくなってきたんだよね。
それにお母さんがときどきぼんやりしているのを見ると、大丈夫かなあとも思うし。
2人で入れる施設を探そうかと思う。
なんとー!
施設への入居を考えていたと知ってびっくり。
それならば、母が退院するまでに、施設を探し、手続きを済ませ、引っ越せるようにしなくてはなりません。バッタバタの1か月が始まりました。